概要
留学生別科や日本語学校での日本語学習を経ても、日本語能力試験のN1レベルに到達することは難しく、そのレベルに到達しても、日本人から見るとまだおかしいところが残っている場合があります。そうした学生の指導を日常の教育場面でどのようにしていけばよいかを説明します。
日本語の難しさ
日本人が日常的に使っている日本語という言語は、しかしながら外国人にとっては習得困難な代物です。国文学の世界は日本語の頂点といえるでしょうが、その世界で評価すると、外国人研究者で日本語が完璧だと言える人は全世界で数えるほどしかおられない、という話を聞いたこともあります。
言語には、聞く(listening)、話す(speaking)、読む(reading)、書く(writing)という四つの側面がありますが、留学生を指導する際には、その四つの側面のすべてに気をつけておく必要があります。留学生別科や日本語学校における系統的な日本語学習を経た後であっても、まだ日本語におかしいところがあるのが普通です。
したがって、大学教員は、留学生に対して、各科目固有の知識(domain knowledge)を指導するだけでなく、日本語の添削指導をしてあげることが望ましいのです。
聞く(listening)・話す(speaking)
図 マスターフォト 28,000 People2 B16965.jpg聞く能力と話す能力については、日本人の学友を作り、様々なシチュエーションのなかで彼らと日本語で会話をしてゆく中で、自然にこなれた表現を学習してゆけることが多いのですが、しばしば留学生同士で固まってしまって、積極的に日本人学生とコミュニケーションを取っていこうとしない場合も見られます。
これは日本人学生の方にも課題があり、外国人ということで単純に敬遠してしまったり、留学生の持っている異質文化(ものの言い方や考え方、態度、行動など)に馴染めなかったりすることから、距離を置いてしまうこともあります。
その意味で、日本人学生の指導と留学生の指導、それは生活指導に近いものになりますが、そのような面からアプローチすることが必要になります。現在の大学では担任制度が明確でない場合が多く、生活指導を行う場が限られているのも確かですが、少なくともゼミに留学生がいる場合には、教員は積極的な、ただしお節介にならぬ程度の介入をしてゆくことが必要でしょう。
なお、話し言葉については注意すべき点があります。留学生と話しをする機会があれば、おかしな表現についてはその都度矯正してあげるのがいいのですが、授業中など、他の学生のいる場では、彼らに失敗感や羞恥心を抱かせてしまう可能性がありますので、授業の終わった後に教えてあげるような配慮が必要でしょう。
もうひとつ注意すべきなのは、「通じればいいだろう」という考え方を持ってしまう場合です。もちろん通じることは最初の目標ですが、そこで慢心してしまったのでは成長は確実にストップします。留学の目標にもよりますが、少なくとも卒業後も日本社会で生活していこうとする学生の場合には、きちんとした話し言葉を身につけられるように、留学生を動機付けてあげることが必要です。
(黒須 正明)