Q. 1990年代以降のFD活動には、どのような変化がありましたか

概要

高等教育大衆化という課題に対処するためのFD活動には限界があり、1990年代以降高等教育の高度化への対応が要求され、グローバル化した国際経済活動に、高い競争力をもつ人材の養成のためのFD活動が要求されるようになりました。

FDの限界

高等教育の大衆化から要請されたFD活動には、欧米大学の経験においていくつかの面で限界があったことは否めません。
第一に、FDは、教員の教育・研究両面における能力が比較的低い教育機関にその対象を向ける傾向がありました。第二に、FDの焦点が個人的な資質に限られる傾向がありました。そして第三に、FDを推進する教育センターなどの組織が、教育活動に自信をもてない教員に対するコンサルティングなどの機能に特化する傾向がありました。こうした意味で、FDの対象が必ずしも広がらない結果が生じたのです。

FD活動の変化

しかし1990年代以降のFDには一つの重要な変化がみえました。その背景には高等教育の質的な改善が新しい段階にさしかかったことがあります。経済のグローバル化が進み、国際競争の中で、高度の人材を擁していることが重要となり、大学で高い能力を学生に身につけさせることが必要となります。
先進諸国の高等教育は、福祉国家政策の中で、大学進学への障壁が低くなり、高等教育は大衆化を越えてユニバーサル化の段階に入ったのです。大学は誰でも、その気になれば入学可能となりましたが、その結果として大学入学が安易に行われ、大学を中退するケースも多くなりました。こうした意味で、大学の教育力の強化が再び大きな課題とならざるを得ませんでした。

教育・学習のための学者集団 SoTL

教員の教育力向上を、単に教員個人の資質の欠如に対する対策としてではなく、むしろ大学教員の自主的参加による、一般的な教育力の向上にむけての運動としてとらえようとする動きが出てきました。
それを象徴する、「教育・学習のための学者集団」の活動(Scholarship of Teaching and Learning ―SoTL)があります。すなわち、学生に対する教育を、研究と同様に、同分野の研究者が緊密に研究成果を交換し、それをもとに発展をとげていくように、教育についても緊密な情報の交換を行い、それをもとに発展をはかろう、という活動です。
このSoTLの運動は、1999年にカーネギー財団が全米高等教育協会と連携して始めた「カーネギー教育・学習センター」(Carnegie Academy for the Scholarship of Teaching and Learning ― CASTL)を契機としています。このプログラムは、大学教育に興味をもつ大学教員を一定期間、同センターに滞在させ、そこで自分の教育に関する蓄積をまとめるとともに、それを全米の教員と共有する方法を探る機会を与えるものでありました。

このような一般的な教員が自律的に参加し、大学教育に関するノウハウを一定のネットワークによって蓄積する、という考え方そのものが、高等教育の現代的課題に対応するFDの一形態となりました。

(苑 復傑)

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最終更新日 : 2012年4月28日