Q. 留学生へのゼミ指導-言葉の使い方についてどのような点に注意すればいいでしょうか

留学生に対するゼミ指導は、まず言語として何を使うかが問題になります。一般に授業は日本語で行われることが多いと思いますが、日本語を聞いたり読んだりして理解する能力をそれなりに持っている留学生でも、ゼミ指導のような場で自分の考えていることを日本語で表現することは十分にできないことが多いのです。
そのため、もし留学生にとってのネイティブな言語を教師が使える場合、あるいは留学生が日本語よりは流ちょうに使える言語(たとえば英語)を教師がそれなりに聞いたり話したりできる場合には、ゼミ指導の場では日本語ではなくそれらの言語を使うことが望ましいといえます。もちろんチャンポンにして使うことも考えられます。
教師の立場からすると、日本に留学してきたのだから、日本語がそこそこ使えて当然であり、何も相手に「迎合」することはない、という考え方を持つことも考えられますし、それはそれなりに筋が通っているともいえるのですが、留学生においては、外国語で十分に意を尽くすことが至難の業である場合もある訳ですから、そうした状況で共感的コミュニケーションをとることは教師の努力目標であるといえるでしょう。

特に授業と異なり、ゼミ指導では対話的なコミュニケーションが重要になります。したがって、たとえば留学生が中国人であり、教師は中国語が全くできないといった場合には、英語を使うか、ゆっくりでもいいからわかりやすい日本語で対話を進める必要があるでしょう。たとえば、留学生の発話した内容を、教師が意味をくみ取ったうえで「こういうことですか」といった形で確認するのも良いでしょう。
教師にとっては余計なロードがかかることにはなるのですが、言葉が不自由でも、能力の高い学生である場合もあります。そうした場合、コミュニケーションギャップから、その学生の留学体験を貧弱なものにしてしまうのは気の毒なことです。
もちろん留学生に対して、相応の日本語学習への努力を要求するのはしかるべきことだと言えるでしょう。日本語学校への通学を勧めたり、日本語テキストでの勉強を求めることは、その後のゼミ指導を円滑なものにするために必要なことといえます。能力が高く、学習へのモチベーションが高ければ、そうした留学生は、十分に教師の期待に応えてくれるでしょう。
しかし、能力も低く、モチベーションも低い学生で、ゼミ指導がうまく行かない場合には、残念ながらそれは留学生個人の自己責任であるとみなすしかないでしょう。

(黒須 正明)

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最終更新日 : 2012年3月1日